講師
(株)小谷屋根 代表取締役 松澤朋典(まつざわ・とものり)さん
1979年(昭和54年)長野県生まれ。
東京で現場監督業を3年半就業後、家業の茅葺きを受け継ぐべく、父・松澤敬夫氏の元へ弟子入り。会社設立と同時に代表取締役へ就任。文化財を中心に一般住宅や社寺等を手がける。三代目として伝統技術の継承に力を入れる。父・松澤敬夫氏は、現在伊勢神宮の遷宮に向けて5年間の出向中のため、若手後継者4人を抱えて日々修行の道を歩む。
【主な仕事】名勝田毎の月姨捨山長楽寺月見堂・観音堂(千曲市)、県宝光輪寺薬師堂(朝日村)、重要文化財横田家住宅(長野市)、大町市旧中村家住宅(国指定重要文化財)他、文化財修復多数。住宅、民家、社寺等の仕事も多数。
講演
長野県小谷村(おたりむら)から来ました松澤です。
今日は1時間前に到着の予定だったが、トンネルの中でエンジンが止まってしまい、女房に迎えにきてもらったりして遅くなってしまった。このような講演というのをやったことがなく、同業者や地域の大工さんに話したことしかない。不慣れなので聞き苦しいと思いますが、とうぞよろしくお願いします。
なぜ、茅葺きを始めたかということですが、東京で建設会社の現場代理人を3年ほどやっていたが、会社の経営が傾いて、家に戻ることになった。もう少し東京で一人前になるまでやりたかったが、父から「お前に仕事を教えるのに10年はかかる。もう時間がない」と言われて、決断した。
まず、茅葺き屋根というのは何なのかからお話したい。
左上の写真は寄棟です。小谷村とか白馬村の民家は2階に養蚕の部屋を設けており、明かり取りの窓がある。冑づくりと呼んでいるものです。
右下の入母屋づくりはちょっと格式の高い神社とかお寺です。
右上は土蔵ですが、切妻。
左下は曲り屋で、芝棟と言って、棟に芝や花を植えるものもあり、草の根が絡まって雨漏りを防ぐという作りになっている。
この他に、縦穴住居の屋根がある。
あと、富山の合掌造りがあるが、手がけたことは無いので、写真でしかわからない。
屋根勾配は基本的に45度以上です。
茅葺きという言葉は、植物で葺いた屋根の総称です。茅という植物はなく、藁とか、ススキ、葦、芦、ススキの仲間のチガヤ、あと、麦・藁などの総称がカヤ。
食糧難のころ、長野県も豆や蕎麦を植えて、茅場は無くなった。
麦も植えた。毎年採れる麦藁も昭和30年〜40年代に使われるようになった。麦藁は短いので、短いカヤで葺くようになった。
その当時に屋根屋になった方は、カヤ(長さが2.5mほどある。)を三つ切りとか二つ切りにして葺く工法を採った。それは全国に広がった。
僕たちがやっている工法はカヤを長いまま使って葺く。建築主の一代は必ず持たせないといけないということで、茅葺きは一代で最大の大仕事ということで、そのやり方を守っている。
相互扶助で、結いとか、小谷では無尽と言っているが、地域の方や親戚が全員で協力した。
体で協力出来ないときは縄を幾つとか、カヤをいくつかとか、お米を何俵とか、で貸し借りや物で返したりすることが当たり前でしたが、仕事を休むのが難しくなって、茅葺きも減ってしまった。
また、欠点として、茅葺きは火災に弱い。集落火災が当たり前にあって、板金が増えた。
いまさら茅葺きなどというのは古いという考えになって、昭和30年頃から一気に板金で茅葺きをくるむことが増えた。
父も板金が盛んになった時は、板金の技術が分からなかったので、東京に修行に行った。
帰りの電車賃だけもらって、一年近く修行して、小谷にもどり、祖父の葺いた茅葺きをトタンでくるんだのが板金の最初の仕事だったとのこと。
その頃は一年に1軒か2軒しか茅葺きの工事は無かったと聞いている。
茅葺屋根の特長として、良く夏に茅葺きの家に入るとエアコンが効いているかのように涼しいといわれ、断熱性が高く冬は暖かい。
吸音性が高く、中に入ると吸い込まれるように静かだ。雨が降ってもトタンのようにパシャパシャ音がしない。
雨水はカヤの中を水滴で下に伝わってくる。水滴のリレーで水が伝わって来て、軒下から落ちる。軒下に水が溜まって落ちる頃になって、雨が降ってきたことがやっと分かる。
カヤは吸湿性と適度な通気性があるので、とても快適。
昔の建物は基礎の玉石以外はすべて土に戻る自然の素材。勿論桁から上の屋根材もすべて植物なので、すべて土に帰る。
茅葺き屋根のデメリットは火に弱く、勾配が急なので、一気に全体に火が回るため、消火がすごく難しいと言われている。トタンでくるんである場合も同じ。
3年ほど前、家の近くで火災があり、茅葺きにトタンを巻いた家が、消火が出来ず、手がつけられず、全焼した。近所の類焼を防ぐのがやっとでした。
一番は、火に弱いということ。
次は、材料となるカヤを調達する場所。茅場は特に手入れはいらないが、年に一回か二年に一回、火を入れて、草や小さな木を退治しないといけない。
茅場は水はけが良くて南向きの斜面がいい。
養分が多い土が増えるとカヤが太くなって良くないので、腐葉土にならないよう、火入れをする。
太いカヤは逆に弱くなってしまう。枯れ草を腐らせて土にするのではなく、灰にしてしまうということ。
それを守って来たのが茅場。今の日本で大きくやっている所は全国で9カ所しかない。
その内の一つでも、全部刈り取っても一軒葺けるかどうかしか採れない規模の茅場しか残っていない。屋根が大きいので、トタンで覆うのも工事がたいへん。
僕が葺いた屋根で一番勾配がとろいのは6寸5分勾配ですが、あまり良いものではない。
水はけが命。水が屋根の中に入らないようにするには、カヤ自体の勾配をある程度強くしておく必要がある。表面から10センチぐらいまで水が入ってしまう場合がある。そうすると、虫がそのようなところに入って、虫が糞をし、それを微生物が分解するという循環で堆肥になってしまう。堆肥になると修理が難しくなり、葺き替えないといけなくなる。
なので、なるべく勾配を急にする。合掌造りなどは鉦勾配よりちょっと急になっている。とにかく水を外へ外へと捌ける屋根に近い方が強いということになる。
この写真が小谷村の茅場。面積は約30ヘクタール。
昔は刈り取ったカヤを直径25センチの束にして、1万5千〜6千束採れた。
なぜ25センチの束かというと、小谷は毎年10月20日前後の土用の入りに山開き。今年は10月20日が土用。それを超えてからでないと、カヤがまだ青くて、屋根材には使えない。10月の終わりから11月初旬には霜が降りてくる。何度も霜に会うと節が飛ぶようになって刈れなくなる。この時期に刈る秋刈りのためカヤにはまだ水分が残っている。
25センチぐらいの束にしていないと、春までに乾かず、腐ってしまう。
この25センチの束のカヤが、建坪40坪(5間の8間として)で葺き坪が80坪の屋根を葺くのに建坪あたり200束必要なので、8,000束が必要。
茅場が30ヘクタールあると言っても、雪さえ降らなければいくらでも刈れるのかというと、そうでもなくて、場所によっては太さが細すぎたり、稲のいもち病のような穂のないものもあって、そのようなカヤは春に乾いたものでも柔らかくて屋根材には使えない。
なので、良いところだけ刈ると、30haあっても、1軒分の8,000束とれるかどうか位しか今は集められない。
ここ三年、11月の初旬に雪がどさっと降ったりして、毎年4,000束ほどしか刈れない年が続いている。
この茅場は地権者が100人居る。この地権者が茅場を守って来た。そのおかげで僕たちがカヤを使い、仕事をさせてもらえている。
この地権者の方も世代交代で、若い人が減ってきた。また若い人は何のために火を入れないといけないのか、ということもなかなか理解されない。毎年やっているからやるというだけになると困る。危ないし、たいへんだから止めてしまえという人が出てくると大変だということで、「ふるさと文化財の森」という国の制度を知ったので、村と相談しこれを導入することを計画し、今年春に認定された。
これは文化財に使うスギ、ヒノキ、ウルシ、カヤ等を確保していくための助成制度。認定されたことで、地権者の方も元気になって、守ろうと、一つになる機運が出てきた。
火入れは無線で連携を取ってやるわけではなく、回りの様子を見ながらの阿吽の呼吸でやっている。
怖いなということもありますが、火入れのやり方一つにしても伝統の文化であり、後世に残していかないといけないと、管理している親沢北委員会で、どうすれば残せるかを議論している。
ここは小谷でも大きな茅場だった。
そのほかにも10軒ぐらいの集落に一つとか、協同の茅場とか、何十箇所もあったが、養蚕のため桑畑になったりし、茅場が荒れて茅刈が出来なくなっている。
植林をしたところもあって、それも2・3年で切り倒したり、ということもしていますが、茅場に戻すのは大変。
「ふるさと文化財の森」は文化財の研修の費用や森の整備、文化財を知ってもらうという行事をしたりする予算を少しみてもらえるということです。
全国のふるさと文化財の森の指定は、図のとおり。
昨年までは長野県は無かった。富山県も無い。
長野には文化財は沢山あるのに、一カ所も指定されていない。なら、長野で一番初めにやろうということで、村も協力してくれたおかげで茅でのふるさと文化財の森の指定をもらえた。
長野と富山は隣どうしの県だが、日本で道が直接繋がっていない唯一の関係。何時か何処かで繋がると良いなと思う。
この写真は指定のきっかけになった神殿。
長野県麻績村(おみむら)の重文の神明宮で、昔は茅葺きで、今は銅板葺きだった。この銅板を茅葺きにもどそうという話になったが、茅葺きは持ちが悪いから、茅はやめてほしいという話もあった。4棟の建物の内、一つだけでも茅に戻してあげようということになって假殿だけ茅葺きにした。
假殿というのは、本殿の神様を何かの時に一旦移すためのもので、このような建物が残っているのは珍しいとのこと。
この隣にある神楽殿も茅葺きにしたが、茅の上にトタンの下地を組んで板金になっている。
このように、無くなった茅葺きを復元することも少しづつ出てきている。
また、新築で茅葺きにしたいという方もちらほら出てきている。
これは、今葺き替え工事の進行中の現場。住んでいる方は83歳だが、本人の知る限り葺き替えはしていないとのこと。今まで修理、修理でやりくりしてきた。(70年以上もった。)
葺き替えしてほしいとの依頼があり、中を見た。垂木は真っ黒に煤け、縄も腐って無くなっている状態だった。今までのような修繕もできないことはないが、骨組みを直さないと長く持たないと話して、葺き替えを住みながらでやっている。
そのため覆い屋根を掛けて、雨でも雪でも仕事を出来るようにしている。
「やこぼし」は職人が縄で縛って下におろし、使えるものは勾配を確保するための枕材の「のべ」として再利用する。
のべの上には新しい茅を葺いていく。
ダメな茅は畑で野菜の肥料とする。このサイクルが僕たちの地域でのありがたいものだった。屋こぼしをするとなると、あちこちから屋根茅をくれという要望がくる。みなさん欲しがる。
屋根に揚がった茅は100年経って枕材になり、また100年経った時に枕材が肥料として土に戻る。
今まで家を守って来た茅が今度は食べ物のための肥料になる。その食べ物を収穫して生活ができる。
このサイクルが素敵だと僕は思う。
一回骨組みをばらし、6尺に一本サスが入っている。
サスの上に「やなか」とか「まつのぎ」とか呼んでいるが、3尺に一本直径10センチメートルの横材の丸太を入れ、その上に垂木を乗っけてしばる。
この縛り方も適材適所で10種類くらいのものがある。
これを釘とかボルトで留めると地震の時にそこにすごく無理が来て融通がきかないためそこで折れてしまう。
縄で縛ってあると地震が来てもしっかりはとまっているが、動くので壊れない、と大学の先生がおっしゃっていた。
縄は、昔は手綯(な)い縄だった。今は機械で綯いた縄を買ってくる時代になってしまった。
昔みたいに強くはないのが現状だが、必ず縄で縛るのが茅葺の基本です。
これは垂木をかけた上に「イツリ」という葦を横に引き並べて茅が家の中に漏らないようにしている。
イツリは5寸おきぐらいにならべて縄で絡げているだけ。
竹の多い地域では竹でやったり、麻殻が豊富に採れたところは麻殻でやっている。
麻殻も葦もないところは普通のススキを使ったり、いろいろです。
ヨシズ(葦簀)を使ってやる場合もある。ヨシズを使うと中に埃が落ちにくくなるので、最近はヨシズをぺらぺらと並べてやることもある。
最初の第一層は雪国なのでアサガラを1尺の厚みで取り付けている。
奥を竹で組んで下を麻縄でしっかり縛っている。
アサガラは根元から先まで空洞のストロー状になっているので通気性がいい。
建物の中に空気が通うので一番いいということで、よくやる。
火がつくとアサガラはすぐに燃え広がる欠点があるが・・・。
雪国は建物に力がかからないように、雪が2m、3m積もるので、軒先は麻殻で支える。
軒付けが終わると、次はハダヅケ(肌付)。
一番下の層を肌という。軒の厚さを作るもの。
三角形に作った茅をアサガラの上に並べて、奥は梁に竹で抑え、前は麻縄で取り付ける。
肌付の上に三層目のダイヅケ(台付)を葺く。
台付は、ミズキリガヤ(水切茅)の土台になる。
台付に使う茅は、しっかりしたまっすぐなものを長いまま使って取り付ける。
軒の茅の厚みはアサガラを含めて90cmぐらいのを、このお宅では入れた。
台付がすんだら、初めて枕材の「のべ」を架って、茅を起こし、勾配を急にし、水切茅(口茅とも言い、雨だれを切る。)を4層目に入れる。
この時に1mぐらいの厚みになる。
このお宅では、軒を厚くしてほしいと言われた。
あまりに厚くすると、棟が決まっていて、収まるところを変えるわけにいかないため、勾配がとろくなり、あまり良くないが、施主が一番気にしているのが軒の厚さだったので、目いっぱい限界の1mまで厚くした。
水切茅がついたら、次に「返し」といって、茅の葉を落としたもので、水切茅の隙間を埋める。
縄の取り方が複雑になって、なかなか教えるのも大変なところ。
手を入れて、ちょうどいい場所に前もって出しておかないとうまくいかない。
<この時素手でやる。松澤さんの手は傷だらけ。>
一番大切なのは目を詰まらせて、固くしっかり刺しておかないといけないのが一層目の水切茅。
ここがしっかりできていないと、屋根はなんともないのに軒に水が回って、下から見上げると、軒のあちこちが黒くなる。
そうなると、そこが沢になって、軒の修理が必要になる。屋根屋にとっても大変なことになるので、しっかり注意して作業する。
屋根葺きは、隅のラインが重要で、親方がやる。平は「手番」や「見習い」がやる。
まず基準を隅に作って、それから平を並べる順。
雪国のやり方としては、まず縄を張って、「縄張り」をやる。その後、茅を並べて鉾を使い、縄で内外を縫うという繰り返しの作業です。
茅はすべて長いまま使うのが、一般的。
針を取っているところの写真がないが、これは隅のところ。
ネマガリダケの3年物を取ってきて、隅を回して押さえている。
これは、現時点の状況で、あと3葺きぐらいすると、棟の納めに入る段階の状況。
これは、昔ながらのやり方で、完成した時の儀式。
歌を歌っているのが父。
僕らは「北信流」と言っているが、清めの儀式。干支が10回まわる120年先でも安心して暮らせますようという願いを込めている。
このような踊りと歌と清めの儀式をやる。
葺いて内に籠るという「葺き籠り」が訛って「ふきょうもり」というが、近所の子供を集めて、餅をばらまく。
これは子供の思い出になってもらうため。
僕らも声をかけて、子供たちに来てもらい、餅を撒いたり、おうちのかたと酒を飲んで現場を去る。
こんなことも伝統ということで大事にしています。
技術継承の取り組みということで、映像化もしている。
映像で残しても、見て解るかというとちょっと問題があるが、声と映像で残すことも、出来るときにやっている。一回残しておけば、将来どうすればよいかわからない時の参考になるだろう。
もし、茅葺をやりたい人がいたら、見てもらうために作っている。
あと、茅葺を少しでも知ってもらいたい、触れてもらいたいということで、小さい子達を集めて実際に竪穴住居を作ったことがある。
都会の姉妹都市の10歳前後の子供たちに来てもらい、親も一緒に作った。この子供たちが20年後にまた自分の子供を連れて来てもらう、という良いサイクルを作る。
和紙に将来の夢とか願いを書いてもらい、縄の中に綯いこんで、雨のあたらないところに仕舞った。タイムカプセルのように、将来また来てくれた時に開いて、お父さんがお前と同じような小さい時に書いたのだという、良い場になればと思っている。
後は、現場見学。
行政に働きかけたり、地域に呼びかけたりし、だれか一緒に工事中の現場をみてもらい、触れてもらい、少しでも記憶に残ればいいと思っている。
茅刈りですが、いろんな人に参加してもらい、刈った茅に自分の名前をつけて茅を葺くときに自分の刈った茅を屋根に並べるということもやっている。
文化財の屋根のあのあたりに俺の刈った茅が乗っかっているんだ、といったことで文化財に触れてもらったり、その機会に文化財の意味を知ってもらうこともやっている。
教える場は現場しかない。現場は学校ではない。やり直しは特に現場でしか実習できない。どの工事もそうだと思うが、正解はないが失敗は絶対に許されないものだ。そういう失敗をなるべくしないようにするため、倉庫の中で骨組みを組んで、従業員にここはこんな風にやるのだ、隅はこうするのだ、というようにやらせるための勉強の場を作っている。自分で好きな時に来て好きなようにやれる場を作った。
現場で一日かけて葺いたものを、まずいことになって、また一日かけて元に戻すというようなことが無いように、練習の場で教育している。
これは、茅葺ではないが、茅葺に住みたいということで、後から取り付けたもので、古く見せるため黒っぽく色を付け、最初に骨組(サス)と谷中に後から突っ込んで付けたもの。
一番下にアサガラを敷き、その上に茅を並べて茅葺っぽくしている。こんなこともたまにやっている。
これでスライドは終わり。
配布資料のパンフレットの中ほどの歌
「掻きよせて結べば柴の庵なり 解くれば元の野原なりけり」
柴をかきあつめて縛ると庵ができて、なくなれば野原になる、という建築の美しさと強さの元になった。
基礎の石が唯一残る。これが本当のエコなのだろうと最近感じるようになった。
茅葺き屋根の仕事は大変少なくなり、ほとんど見ることが無くなった。
日本中の屋根屋さんはそんなに多くない。そのため、地元の茅葺を他所の人がきてやっている。
僕たちも遠くに行って仕事をしているのに、近くの現場から声がかかっても、一つの現場は2カ月3カ月かかるので、請けることができない。
仕方なく、遠くから(県外の)屋根屋に来てもらわないといけないような悪循環もある。
今、父が伊勢神宮に奉仕で行っている。
地域を捨てろ、家族を捨てろ、そして来いという話で、最初4年間ということで行った。4年間も居ないとこっちも困ると思っていたが、遠くで見守ってもらうということだった。
4年で遷宮が終わったが、別宮が12棟あって、その内2棟が終わらないと顔向けできないということで、もうしばらく居ることになった。
父は、今回相談を受けて、20年に一度だから、今回を逃すともう20年後はできないということで、悩んだようだ。
留守の間、僕も一人でやっていく自信がなかったが、やっていくしかないので、覚悟した。
あと半年で戻ってくるだろう。
伊勢神宮は写真が撮れない。カメラや携帯は持ち込めないので、写真は無いが、完成したら見られる。
今からは解体をやるようで、今回は職人が手で壊すということを聞いている。
以上で、話しは終わります。
何か質問はありませんか?
質疑応答
Q:大変な工事で、見たこともないが、工事費はどの程度になるのだろう?
A 松澤
業者によって値段が違うのが茅葺。
やる業者によって持ちも全然違う。
金額も倍くらい違う。
小谷屋根では屋根坪で17万円くらい。
屋根を全部剥いで、骨組みも直し、覆屋も足場も含む。
Q:先ほどのスライドの家の大きさは?
A 松澤
葺坪で80坪
Q:1,400万で3カ月か。
A 松澤
業者によっては2,000万かかるというところもあるし、覆い屋根はいらないという人もいる。
地域々々で形が崩れてきているということもあるが、今現在残っている葺き方が伝統で、何が良いかというと、茅葺の屋根屋さんも自分の葺き方が一番良いと思っていて、統一性がない。
作り方も形も違う。なので、金額の統一はないのが現状です。
足場も丸太でやっているが、危ないということで、幅木をつけるのはたいへん。
昔は丸太2本でゴミはみな下に落ちるので具合が良かったが、労働基準監督署の指摘を受けた。
屋根葺き足場だけは丸太の上に30センチか25センチの板を置いている。結構監督署も見に来る。
親綱を張るのは、覆い屋根を作る場合にはできるが、修繕では張るところがない、動きをみると上下左右しょっちゅう移動するので、安全綱はやらなくて良いといわれている。
竪穴住居のような小さなものであれば問題はない。
今は材料代が3分の1かかる。手で刈って、良いところを選んで、乾燥させて、それくらいの値段。
材料の調達から職人任せになっている。
親が若いころの茅葺職人は屋根を葺くだけだった。材料はその家が知り合いや近所から用意した。これだけあれば屋根が葺けるということになって初めて呼ばれた。
今は材料の調達から保管まで全部屋根屋がやらないといけない。そのため材料代が多くかかってしまう。
一軒の家を葺くとなると、軒桁の高さまで茅で埋まる嵩になる。茅の保管には葺く家と同じ大きさの倉庫が必要になるということだ。
あと、国の重要文化財が一番予算がない。(笑い)
赤字になる場合もあるが、しょうがないと思っている。文化財は利益を求めないというのもあるのかもしれない。
できれば、重文こそ解体しながら、しっかり調査し、いつも以上にしっかりと作るべきなのだが、工期がなく教える時間がないし、自分でやった方が早いしで、現場にのりこんだら、いつ終わるいつ終わるで、急がされる。このあたりがもう少し良くなるといいのだが・・・
他の質問は?
Q:5層に葺くというのは防水のためなのだろうが、茅葺の防水は棟が欠点になりやすいような気がする。棟の押さえ方の地域の差はどうか、棟押えの材料とか留め方の工法とかをお聞きしたい。
A 松澤
小谷村の牛方宿の場合は、杉皮で納めて、その上に押縁が2本あり、その上に鞍木(千木ともいう)で固定している。これは文化財なので鉄板は入れられない。
杉皮は3枚。1枚は4mmぐらい。この皮は5年もつ。なので、15年でやりかえる。これが小谷村での屋根のサイクル。
15年経って棟をやりかえる時にどこかいたんだところがあれば、はじめて修理をする。どこもいたんでいなければ、棟だけやりかえる。これが茅葺の家の維持でたいへんなところ。
今は鉄板を入れてその上に杉皮をかぶせる工法を取り、鉄板が見えてきたらその上に杉皮を懸けるというやり方をやっている。
Q:千木を押えるのは何か?縄で下に引っ張るのか?
A 松澤
今は銅線を使っている。
押縁の横ものと鞍木を留めるのは釘を使っている。昔は麻縄で留めたらしく、15年ぐらいは何ともなかったとのことだが、杉皮と麻縄のどちらが持ったかはわからない。
雪国独特の作りで、周りが4mくらい積雪があっても雪には耐えている。
Q:五箇山の合掌造りでは、角のように横架材を出しそれから綱を棟にかけて押えているが、あのような例は他にあるか?
A 松澤
全国的には見ていない。
あれは、棟が傷みやすい。すぐ腐る。
茅は地面に積んでおくとすぐに腐る。
見学に行ったときに、住んでいる人が棟をやりかえるために仕事をしているようなもので、大変だと言っていた。
Q:棟押えに杉皮ではなく、竹を使ったり、板を使っているのも見たことがあるが?
A 松澤
小谷では竹ができない。栃木とか会津とかに行くと竹簾巻とかがあって、装飾的にもすごくきれい。竹の寿命が棟の寿命ということになるので、棟はそんなには長くはもたない。
Q:杉皮とか檜皮の方が持つのか
A 松澤
持ちます。3枚重ねとか4枚重ねとかあるが、だいたい15年から20年というところで棟をやり変える。
Q:縄は、普通は藁縄なのか、棕櫚縄は?
A 松澤
普通は藁縄。あと麻縄。棕櫚縄は細いし、あまり強くないから使わないが、温泉で下が露天風呂のような湿気が多いところは棕櫚縄が強い。
Q:魚津で3坪くらいの茅葺倉庫をやり換えてもらう場合、やってもらえるか?
A 松澤
お声がかかればどこにでも行く。
Q:その場合材料は小谷村から持ってくるのか?
A 松澤
持ってくるか、ふるさと文化財の森ではないが、茅の業者がいる。一番大きい茅場が富士の裾野にあり、そこは雪が降らないので刈れる時期がだいたい11月から3月ぐらいまである。雨も少ない。そういう所に頼めば間違いなくそろう。
Q:コンバインで細かく裁断しない稲の藁でも葺けるのか?
A 松澤
稲藁の寿命が10年。麦藁が20年。寿命が来たら、麦藁などは上に重ねて葺いて行く。だんだん厚くなる。昔の屋根は上にかぶせていくのが一般的。
茅で葺くと一代持つという差がある。
稲も麦も最近は台風で倒れないように、丈が短くなっている。
文化財などで、麦藁で葺いてくれという注文もあるが、本当に麦は手に入れにくい。機械で刈るにしても、丈の短い生産性の良いものを作る。機械は下から10cmぐらいのところで刈るので、長さは90cmもない。
Q:茅という植物はあるのか?
A 松澤
茅はススキや藁等、植物性屋根材の総称のこと。
ススキには何種類かある。丈の短いものとか細いものとかいろいろある。
丈はだいたい2mくらい。で、太すぎないもの。太いと水が裏に回ってしまう。
一本のススキに水がポタンと跳ねると、裏に回ってしまう。細いと、隙間があっても表面張力で外にすーっと行く。太いと裏に回って深く濡れる。葦も裏に回るのであまり強くない。
Q:葦よりススキの方が持ちがいいのか?
A松澤
そうです。ただし、葦はススキより水を吸わない。繊維が強い。なので、先端の丸い茎をくちゃっと潰して葺くと強いと聞いている。
僕の父親は今72歳だが、中学卒業し、親の所に弟子入りして、一軒目の家がまだ残っていて、5年前に初めての修理をした。50年以上もっている。ススキの場合はこれくらい保つという証拠だ。
その家の人も父のことを覚えていて、小僧(当時の父)が駆け回り、夜中の2時ごろまで縄を綯って、朝6時ぐらいに起きてお茶をいれていたとのこと。
そこのご主人は82歳なので、もう葺き替えはしないといっていた。もし、葺き替える機会があれば、どんなやり方をしていたのか判る初めてのチャンスになるからやりたいのだが、実現はしないだろう。
Q:入母屋(資料の表紙の写真)の妻の下部に平屋根が入り込むところはどんな葺き方か?棟と同じように雨がかかる場所だが。
A 松澤
「しころ」という、破風台の土台に対して0で納めるため、梁の土台から5寸ぐらい外に出して、縦水になる茅の厚みの部分を言うが、その「しころ」をつけて、少し隙間ができるが、杉葉を詰める。杉葉は「鳥が鼻を突く、ネズミは目を突く」と言われていて、鳥がきらう。茅を抜かれないように杉葉を上にかぶせる。その上に杉皮を竹で押さえて縫ってある。
Q:全国の茅葺きで、松澤さんが美しいと思うタイプはどこの地域ですか?
A 松澤
みなそれぞれ特徴があって、理にかなったやり方だと思います。
よく言われるのは、うちの形とかラインは(良いから)一度一緒にやりたいと言われる。どうやっても真似ができないとのこと。
Q:それは棟のそりや隅のむくりか?
A 松澤
塩尻の永福寺観音堂でラインがいっぱいあり、何処からみても同じように見えるとか・・・
それから鋏の使い方もあるのではないかと思う。
同業者からも、目指すのは小谷屋根さんのような屋根と言われることもある。
Q:そうすると、実際の工事でのむくりとかそりの形は施主が決めるのかそれとも松澤さんなのか?
A 松澤
僕たちで全部決めるが、施主さんが奇麗に刈り込むことを止めて欲しいという場合もある。
刈り込まないと水はけが悪くなるが、ばさばさとした感じが良いという人も居る。
また上まで丸くしてほしいという人もいる。丸くすると上の茅が平になるので、棟が先に痛んでしまうが、昔話に出てくるまるっこい屋根が良いという人、いろんな人がいます。
基本的に僕たちは寄せ棟のつくりは二三ぷっくり、四五六まっすぐで、下へ行くほど勾配をつける。勾配を急にすると氷柱(つらら)ができにくい。
雨の雫がぽたんぽたんと落ちる。トタンの様に外にはじくこともない。下に来るとすとんと落ちる。なので、氷柱が大きくならない。雪にも強い。二葺き目、三葺き目の上あたり、丁度の軒桁の上くらいが一番雪の荷重がかかるが、雪の重さを吸収して強い。
京都の茅葺きは下から上まで同じ勾配だ。小谷に近い所で、京都のような屋根の茅葺きがあったが、地域に合っていなかったためか3・4年で痛んでしまった。
Q:新築はあまり無いのかもしれないが、新築で大工さんと調整しないといけない部分はあるか?合掌材や垂木などの役割分担はどうか?
A 松澤
寄せ棟や切妻では、サス(叉首)までが大工さん。サスでも中桁から上はサスと呼んで、中桁から下は「オイザス」と呼んでいるが、オイザスに関しては屋根屋が入れる。
オス・メスで組んでいる部分のサスは大工でそれ以外は棟もすべて屋根屋の仕事です。
<写真を示し> こんな棟木も屋根屋が作る。
Q:棟の端の鬼瓦にあたる所のデザインは?
A 松澤
よく「水」とか「龍」とかを使う。
写真の愛国学園では建学の精神が大和撫子なので、ナデシコの花にした。
Q:これは茅に焼を入れるのか・・・?
A 松澤
鋏で彫り込み、天端に墨を塗る。
下端に塗ると、濡れる。下から見てちょうどいい様に、縦長に鋏で刻みます。
寄せ棟の民家だったら、台所のある側に火事に遭わないように願って「水」と書いて、格式の高い座敷の方には「寿」だったり、「龍」と書くのが小谷では一般的です。
この文字を入れるのは、最後に(竣工時)に「ふきょうもり」(完成祝)をやる時に祝儀をもらったら入れるのが習い。(笑い)
以前、親父に、見積りの時に文字は幾らにしたら良いのか聞いたら、「あれは見積りには入れられない。あれはご祝儀にいれたものだで。」と言った。
今はご祝儀という訳にもいかないので、一文字いくらで見積に入れている。
昔は、祝儀をもらったら、みんなの見ている前で入れたらしい。
Q:最後に一つ聞き忘れた質問ですが、アサガラとは何ですか?(麻殻?)
A 松澤
麻がありますね。正式には大麻。麻の皮(繊維にする。)や油を取った後の茎。
必要な物を取った抜け殻が麻殻になる。このアサガラが屋根にとって一番大事なもの。
Q:それは、何処から入手するのか?
A 松澤
日本では大きく栽培しているのは1カ所だけ。栃木県の鹿沼市だったと思う。
アサガラを作るために栽培しているのではなく、油(麻油)を採るために毒成分の少ないものを厳重に隔離してやっている。
新しいアサガラが必要な時には栃木まで取りにいかないといけない。
一般的には軒付のアサガラまで水が当たることはない。60年70年経っていてもそこまで水が行くことはないので、普通再利用している。
色は真っ黒になっているが、使える。
Q:昔は小谷でも採れたのか?
A 松澤
50年ほど前までは、冬場の貴重な唯一の現金収入で、今60歳~70歳の人はみんなやっていたと言っている。
Q:繊維を取っていたのかな?
A 松澤
軍事用品に使われていたようだ。
10軒ぐらいの集落には必ず麻を炊くでっかい釜があって、腐らせたり、茹でたりしたものを冬の寒い日にやると綺麗な白いアサガラができる。
これは女性の仕事だったようだ。
今は麻を栽培するのは許可が必要で厳しい。
昔の仕事を知っている婆ちゃんが元気な内に僕たちもその技術を教わりたいし、年寄りの人達の働く場も作りたいので、農協と一緒にできないかと役場に相談したことがあったが、無理でした。
Q:道具のことですが、鋏は普通の植木屋さんが使っている剪定用の苅込鋏とは同じのものか?
A 松澤
別の物で、だいたい6寸7寸8寸という刃の長さのもの。刃は少し反っている。
上刃にも下刃にも鋼(はがね)が入っている。
で、それを作る鍛冶屋さんが、新潟県に一人だけ。九州にも一人居たが亡くなった。新潟の鍛冶屋さんは、作り置きはあるようなのだが、もう年だし、後継者もいない。鋏を作っても生活できないらしい。需要もないし、一つ作るのに一週間かかるが、値段は2万円ぐらい。そう考えると安いが、職人は生活ができない。
苅込鋏がなくなると、材料とか道具で唯一作れないものなので大変困る。鎌なら作ればなんとかなる。
鋏以外の屋根葺き道具は全部自分たちで作っている。
・・・
他に質問が無ければこれで終わります。 (拍手)
-以上-
(文責:小林英俊)