月別アーカイブ: 2014年12月

防災フォーラム

2014年11月22日(土)、富山市オーバードホール ハイビジョンシアターにおいて富山ブロック事業
「防災フォーラム」を開催しました。

安全神話に慣れている私たち富山県民にとって、いざという時の心の準備は出来ているのでしょうか?東日本大震災から4年近く経過しましたが、関係者間の情報の共有や連携を進める仕組みはまだまだ心細いのが現状です。ここ富山県においても「万が一」の災害が起こった際、私たち建築士会は何が出来、何が必要なのか。減災のためにどんな準備と活動が必要か、被災時には何が求められるのかを明らかにする事を目的として本フォーラムを開催しました。
1

◆基調講演◆
「東日本大震災にどう立ち向かったか」
宮城県建築士会・女性部会会長 清本多恵子様

現状として、今でも7万人近い被災者の方が仮設住宅で生活されているが、仮設住宅の断熱・結露・カビ対策の点において中越地震の際の教訓が生かされておらず、不自由な生活が続いている。
復興における「生活再建」が迅速に求められるが、住宅建設はハウスメーカーや他県の住宅業者による着工件数が多い現状。地元の工務店や大工さんは顧客の家の修理に追われ、住宅新築を引き受ける事が出来ず、その結果地域の材料を活用した「地域型復興住宅」の建設が進んでいない。災害公営住宅の建設は進んでいるが、様々な地域で住んでいた人が引っ越してくる事が多いので、新たなコミュニティを形成していく事や、元々の仮設住宅で育まれた自治会活動ができなくなる等、人間の繋がりに関する新たな問題についても説明されました。
何故、仙台であれほどの規模の災害になってしまったのか。高度経済成長期である1960年頃を境にして、自然災害への対処方法がそれまでの「自然に逆らわない住み方」から「自然に立ち向かう方法」に変わってしまった。所得倍増計画により経済的な余裕が出来た事で防災構造物の建造が可能になった事ではあるものの、それには限界があることを忘れていた。

高度成長期の人口の増加に対応する為、周辺の山を削り、谷を埋めて新興住宅地が建設された。
ここに作られた住宅地の多くで宅地の崩落が有り、その結果、危険宅地と判定されたのが3000箇所にのぼっている。
現在宮城県沿岸部に防潮堤の建設が進められているが復旧工事として行われる防潮堤の建設工事は環境影響評価の対象外であり住民説明はおろか住民合意も必要ない。主に盛土の上にコンクリートブロックを載せる構造が多いが、耐用年数や生態系の配慮などの観点から議論が起きている。

今回の震災で多くの歴史的建築物が失われた事も踏まえ、宮城県建築士会では平成25年度より「ヘリテージマネージャー養成講座」を開始。先人たちが築いた建築物も私たちの宝。構造体には影響が無いにも関らず、瓦がずれたり、土壁が落ちた程度で、震災後に20棟もの蔵が解体された村田町が重要伝統的構造保存地区に選定されている。

福島原発の周辺では未だ帰宅困難地域の解除が進んでいない。除染して放射線量が下っても山林の除染は対象外である。きのこや山菜を採って生活してきたふるさとの里山には帰れない。

最近、女性部会において「記憶の中の住まい」プロジェクトを開始。豊な自然と「おまかない(おすそ分け)」という習慣のあった仙台市荒浜地区において地区住民の生活の記憶を少しでも形にして残そうと、記憶の中の住まいを傾聴して間取り図の作成を行いプレゼントする活動を行っている。

時計の針を逆に回すことは出来ない。経済成長し、高齢化が進んでいる現状においても自然とともに生き、ふるさとを再生したいと願う。そんな復興に向けて今も東日本大震災に立ち向かっている。

2

 

 

◆パネルディスカッション◆
「地震被害を最小限にとどめるために」

パネラーは引続いて清本女性部会長、宮城県建築士会・女性部会副会長の星ひとみ様、新潟中越地震で活動された新潟県建築士会の片桐三郎様、富山県建築士会より小林専務理事、山本富山支部長、司会は今村副会長です。

◇星副部会長より応急危険度判定に関して
「被災した家は壊せばゴミだが直せば元の家」
応急危険度判定において「危険」と判定された建物は全壊・半壊とイコールではない。居住者は赤い紙を貼られると早々に解体を決めてしまうことが多い。実際罹災証明の全壊判定が出ると義援金や解体無料などの行政サービスを受けられる事も原因の一つ。
壊せばゴミだけど、直せばまだまだ住める住宅もあるので、判定する建築士は建築主に対して誤解を招かない説明が必要である。
震災直後に電気、ガス、水道、固定電話等のインフラが途絶える中、唯一の情報源はラジオであった。携帯電話は電波の回復に1週間以上かかり、応急危険度判定の連絡も来なかった。
道路が寸断され、ガソリン不足もあり移動が困難であったが、自らバイクで出向いて判定作業を行っていた。宮城士会本部事務局も被災していた為マニュアル通りの判定活動に支障があった。多くの判定士が自らも被災した中で辛い思いをしながらも判定活動を行っていた事等、当時の事を振り返りながらの貴重な意見をいただきました。
4

◇新潟県建築士会の片桐様より新潟県中越地震の際の自らの活動を振り返り、地元工務店の役割の重要性や被災者住宅において、仮設住宅に入居するのではなく、半壊以上の被害を受けた住宅を再建する被災者への支援として、行政への働きかけ等の経験を基に生活再建・住宅応急修理支援制度の創設にも携わった経験を基にお話いただきました。

◇山本支部長より平成24年7月に行った被災地訪問をはじめとするこれまでの富山支部における防災に関する事業の説明・報告が行われ、今後はこの防災に関する活動を全県で取組む課題とする事、建築関係団体及び県や市町村との連携等視野を広げて活動していく事、建築士会における防災委員会を創設し、防災協定対応や応急危険度判定等対応での組織編成に向けての取組みや具体的行動について提言されました。

◇小林専務理事からは災害が発生した場合、被害を最小限にとどめる方策、後処理を迅速に進めるための事前復興の重要性に関して。津波の脅威は対策が難しいが、今後の重要な課題である。建築士、工務店や建設業者、行政側それぞれの立場で防災について取組む事の重要性についてお話されました。更に、減災の為に各家庭での家具の転倒防止対策が今後重要な課題であること、建築士会としても今後このことについて取り組むべきではないか、との意見をいただきました。

最後に質疑応答の時間も設けられましたが、会場内からは活発な意見をたくさんいただき、参加された方々も真剣に聴講さていました。

 

◆パネル展示◆
宮城県の各市町村の被災の状況
宮城県建築士会における応急危険度判定の活動状況
復興共同住宅の建設状況についての展示

6 5

 

(富樫吉規)

秋の高山で感じる北欧&日本文化再発見

平成26年11月1日 本年度富山支部バス見学会(公益事業)
「秋の高山で感じる北欧&日本文化再発見」
フィン・ユールの家具と建築、飛騨の家具の見学のご報告です。

さわやかな秋の1日とはいかず、残念ながら雨に降られ(雨男・雨女は誰??)、肌寒い1日でしたが朝早くから19名の方々の参加を頂き、41号線をバスは走り紅葉を愛で?ながら 、一路高山フィン・ユール邸の建つ、(株)キタニへと向かいました。昼近くに到着後キタニのスタッフより簡単な説明を受けた後、フィン・ユール邸の見学へ・・(本当の自邸はフィン・ユールが1942年にデザインし、名作住宅としてデンマークでは保存され、一般公開されています)

141101建築士会・高山 (53)

 

 

 

 

 

 

 

ここは、デザインにおける代表的な人物の自邸を、北欧文化の探究を続けているキタニが、ゆとりある生活を大切にする北欧文化、自然とともにゆったり暮らせるデザインを大切にしていた北欧を代表するデザイナー、 フィン・ユールの自邸から、北欧の文化を学ぶとともに、改めて日本の文化を再確認する、そんな施設造りを目指し「NPO法人フィン・ユール アート・ミュージアムクラブ」を設立し、この高山のキタニ敷地内に建てたそうです。

141101建築士会・高山 (5)

141101建築士会・高山 (8)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この、忠実に再現された自邸では、フィン・ユールの家具や建築、空間デザインに対するこだわりなどと共に、北欧文化の空間を楽しむ、色彩・光・ちょっとした遊び等々、を存分に堪能することができました。とともに、(株)キタニでは北欧家具のライセンス契約で製作過程を見ることはできませんでしたが、山並みが一望できる素晴らしいショールームで、多くの北欧家具に触れることができました。

141101建築士会・高山 (61)

 

 

 

 

 

 

 

141101建築士会・高山 (63)

 

 

 

 

 

 

 

その後、高山市内で各自昼食及び散策を(土曜日とあってたくさんの観光客であふれていましたと共に、円安の影響?でしょうか、外国の方も多かった)・・・
その後、飛騨の家具職人たちの技術及び伝統技術の保存修理を学ぶべく、地元飛騨家具メーカーの一つ日進木工(株)の見学会を行ない、飛騨の家具の特徴でもある、曲木家具の製作過程を日進木工(株)の専務様などの説明により工場見学をさせて頂きました。

141101建築士会・高山 (93)

 

 

 

 

 

 

 

141101建築士会・高山 (104)

 

 

 

 

 

 

 

 

参加者の方の感想を。

「高山フィンユールツアー楽しかったです。太平洋戦争の時代にあれだけ完成された住宅と家具が
出来ていたということに改めてヨーロッパの歴史の力とモダニズムを感じました。
もう一つは参加者の多様性というか、女性の感性に感心しました。
こういう女性の企画はいつもと違った参加者を呼ぶということに改めて気づかされました。」
M・Y

「私にとって初めての家具工場の見学。一つ一つの工程に、自分も製作に携わってみたいと、
そんな気持ちがしました。家具は愛着もって、長く使いたいですね。」
M・K

「久しぶりのバスツアー、新しい人との出会いに感謝、とても心が躍りました。住宅設計に
携わる者として、今回の企画では、学ぶところが多々あり、とても有意義な体験が出来ました。
家具工房のショールームや工場の見学、そして、高山の自然や街並みの素晴らしさを
再発見する事が出来・・・・・改めて、木という自然素材に温もりを感じ、魅せられました。」
H・M

「フィン・ユール邸は、部屋と部屋・部屋と庭とのつながり、開口部の取り方、各部の配色や
しつらえ、すべてにとても居心地のよさを感じました。日進木工では、材料の管理から製品加工、リペアの様子までを見せていただき、ひとつ丁寧に作られている様子がわかりました。」
M・I

「小雨に煙る瀟洒な住宅の小窓から望む、霧に包まれてしっとりとした紅葉・・・
フィン・ユールが、この地に建築されることを想定して設計した住宅のようでした。
また、材料の段階から吟味して丁寧に加工組立てをして、伝統建築の復元作業に
携わる職人達はこれからも残ってほしいと思います。」
S・T

 

今回の見学会は、感想の中にも書いていただきましたが、どちらかというと、男性目線ではなく、女性目線でデザイン性を主とした見学会にしたためなのか、いつも参加者は男性が多いのですが
今回はいつもと様子が違い、男性・女性半々の参加でちょっと新鮮さを感じました。

今回忙しい中計画から準備迄していただいた研修委員の方々及び、
ご参加頂きました皆様に感謝申し上げます。

研修委員 小泉